宝塚ひとこと日記

宝塚について、簡潔明瞭に

ゆりかちゃんは、できるこ

歌劇で、ゆずるさまをおにいに呼びするなんて、ゆりかちゃんは、わたしをときめきの極限値を試しているとしか思えない。ありがとう、ありがとう、ゆりかちゃん。先日WSSと、ハッスルそらちゃんを観劇するために関西に行ってきたのですが、重いからという理由で歌劇は買わなかったのですよね。まあ、重いと言えば自分の宝塚愛の方が重いので、何言ってんじゃ、みたいな感じなのですが。

で、今日歌劇を購入する前に、ぱらりとめくったら、おにいにですよ!ゆりかちゃーーーん!できるこ!!

因みに、梅田キャトルで宙あーちゃんのめちゃめちゃ可愛い新公お写真を見つけた友人のことも、なんてできるこ!!と、称賛しながら梅芸に向かいました。誉めて伸ばすタイプです。

 

WSSは、私は映画も観たことがなく、フォーラムも未観劇、あらすじさえよく分かっていない状況で観たのですが、とても良かったです。本当に。

特に印象に残ったのが、まどかちゃんマリア、ずんちゃんアニータ、あーちゃんアクション。

ずんちゃんアニータは、こう、娘役になってます!!という感じが全くなくて、本当に自然にひととしてのアニータが存在しているように思いました。だから、アニータなんですよ、ずんちゃんじゃなく。すごいな、このひと、と思いました。存在がかっこよかった。

そして、あーちゃん。開演当初、なんでこのひとたちは、縄張り争いでこんなに躍起になっているのだろうと、その世界観に入り込めなかった部分があったのです。でも、アクションを見ていて、彼らはこういうことでしか、アイデンティティを見つけられないんだ…ということが痛いほど伝わってきて。それ以外の方法がわからないのだと。ひとって、優しさを学ぶものだと思うんです。ひとから愛情や優しさを受けて、それがあたたかいものだと知り、自分もひとに返していく。だけど、彼らの環境にはそれがなかった。自分と同じ人種に属する人間からそれを受けられなかったのに、ましてや生まれた国も肌の色も違うひとたちと、そんな優しさのやりとりが出来るなんて、想像も出来なかったんじゃないかな。

でも、多分、最後のシーンで、トニーとマリアの間に生まれた愛のかけらが、ジェッツとシャークスのみんなに、届いたのではないかな、って。そう思えるラスト。その空気を作り上げたまどかちゃん、凄いな、と。あの時のマリアまどかちゃんには、全てを許す慈愛を感じなかった。感じたのは、怒りだけ。だからこそ、他者、他国との勝手な線引きをして優越感をもつものの愚かさを見せつけるのかもしれない。ただ、目の前にいるひとに手を差し伸べられる少しの優しさがあれば、世界はもっと素晴らしくなる。そんなことを考えさせられた、観劇でした。